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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)2067号 判決

原告

小林とみ子

被告

木村恭一

主文

一  被告は、原告に対し、金三一三万四五九五円及びこれに対する昭和五三年一一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金三八一七万二九六九円及び内金一九四三万二九六九円に対する昭和五三年一一月一二日から、内金一五七四万円に対する平成五年三月二七日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、道路を歩行横断中の原告と被告運転の普通乗用自動車との衝突事故によって原告が損害を受けたとして、右自動車の運転者である被告に対して民法七〇九条に基づき損害賠償を請求している事案である。

一  争いのない事実等(証拠により認定する場合には証拠を示す。)

1  事故(以下「本件事故」という。)の発生

(一) 発生日時 昭和五三年一一月一二日午後七時ころ

(二) 発生場所 大阪府吹田市江の木町一番先主要地方道大阪内環状線の交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 加害車両 普通乗用自動車(滋五五て二一一)

右運転者 被告

(四) 事故態様 原告(昭和一二年三月三日生)が本件交差点の横断歩道を青色信号に従って北から南へ横断歩行中、本件交差点を南から東へ右折してきた加害車両が、前方不注視の過失により、原告の右骨盤付近に衝突し、原告を転倒させた。

2  原告の治療経過

原告は、本件事故後、以下のとおりの入通院治療を受けている(甲一の1、2、二の4ないし39、一九の四の1ないし11、弁論の全趣旨)。

(一) 通院

(1) 北野病院整形外科 昭和五三年一一月一二日から同五五年四月一九日まで

同病院脳神経外科 昭和五三年一二月一九日から同五四年一月九日まで

同病院産婦人科 昭和五四年三月一二日から同五七年一二月一七日まで

同病院耳鼻科 昭和五三年一二月二三日から同五四年四月七日まで

(2) 大阪医科大学附属病院麻酔科 昭和五五年三月一日から通院中

同病院眼科 昭和五五年八月六日から通院中

同病院整形外科 昭和五七年六月二一日から通院中

同病院内科 昭和五七年七月八日から通院中

(3) 兵田クリニック 昭和六二年二月一四日から通院中

(4) 平塚梅田循環器クリニック 昭和五六年一二月一六日から通院中

(5) 若城整骨院 昭和五六年七月一二日から同五七年五月三〇日まで

(二) 入院

大阪医科大学附属病院麻酔科 昭和五七年六月二一日から同年九月四日まで(七六日間)

二  争点

1  原告の受傷による症状及び治療経過と本件事故との因果関係

(原告の主張)

原告は、本件事故により、頸椎捻挫、右肘膝・骨盤打撲傷、腰部打撲捻挫、東部外傷Ⅰ型、無月経、長期投薬による薬剤性胃腸炎及びこれに基づく体液貯溜による慢性心不全(心拡大、全身浮腫、心室性期外収縮)、調節性眼精疲労の傷害を負い、右各傷害による多彩な症状はいっこうに軽快せず、前記一の2記載の治療経過を辿った。

(被告の主張)

本件事故直後の診断では原告の症状は極めて軽微であったものであり、原告の症状と本件事故との間には相当因果関係がない。

2  原告の症状固定時期

(原告の主張)

原告の主治医である大阪医科大学附属病院整形外科の富永通裕医師(以下「富永医師」という。)は、自賠責保険後遺障害診断書(甲一の1)において、原告の症状固定日を平成五年三月二七日と診断しており、右富永医師の診断は、以下に述べる理由により、正当というべきである。すなわち、

(一) 原告は、本件事故に起因する無月経のため、自律神経の失調、大量の発汗、めまい、頭痛等の複雑多彩な症状を呈するなど極めて厳しい不定愁訴に見舞われた。したがって、原告の症状固定判断の対象となっている「症状」は、単に整形外科のみならず、大阪医科大学附属病院内においても、麻酔科、内科(胃腸科)があり、他に循環器科の平塚梅田循環器クリニック、整形外科の兵田クリニックがあり、さらには婦人科、耳鼻科、眼科の領域とも関係を生じているという形で、その症状固定時期の診断は、これらを総合した上での判断が求められ、困難な事例に該当する。

(二) しかも、原告の症状の経過をみると、昭和六三年、平成元年当時はかなり積極的な治療が必要であり、平成二年から同三年にかけては、一進一退の状態が続き、平成四年に入ってからは、整形外科の医師治療は極端に減少し(リハビリはしている。)、もっぱら麻酔科や他の医院の治療が主となって、従前の一進一退の経過や大量の発汗、めまい、頭痛等の症状が総体として安定期に入り、治療自体の回数も減少している。同年の後半ころからは、原告の症状は眼にみえて安定し、強い痛みの訴えはごくたまにしか出ておらず、平成五年三月ころに至り、はじめて症状の固定といわれるべき安定した状態に入っていることが認められた。

(三) 富永医師は、(一)、(二)記載のとおり、整形外科を基本としながら、前記他科や他医院の判断を取り入れ、原告の症状の経過につき総合的判断をした結果、症状固定時期を平成五年三月二七日と診断したものであり、的確な判断というべきである。

(被告の主張)

原告の症状固定時期は、本件事故から約一〇年を経過した昭和六三年八月一二日ないしは遅くとも平成元年六月である。その理由は、以下に述べるとおりである。すなわち、

(一) 原告は、昭和六三年八月一二日ころまでに、北野病院、大阪医科大学附属病院、平塚梅田循環器クリニック、兵田クリニック等多数の病院での診察・治療を受け、その内容は、西洋医学のみならず漢方等の東洋医学にも及んだが、その治療の結果は一進一退であった。

(二) そして、兵田クリニックの昭和六三年六月二五日付カルテには「後遺症認定ボチボチした方がよい。」と記載され、さらに、同年八月一二日付カルテには「書類に「症状固定の時期と考える」と書くことに関して自身の保険会社の人(?)から書かない方がよいといわれた由。よって書類は保留。」と記載されている。かかる記載は、兵田クリニックの兵田医師が医学的見地から症状固定と判断したのに対し、患者(すなわち原告)の都合で保留されたことを示すものである。

(三) また、原告は、自ら作成した被告宛の平成元年四月二八日付書面に「担当の医師によりますと、ようやく本年の六月には後遺障害の確定診断ができる予定であります。」と記載した上、合計二九五九万三一〇六円の損害賠償請求に及んでおり、「担当の医師」とは主治医の富永医師のことである。

(四) 以上のとおり、兵田医師、富永医師ともに早くから症状固定と考えていて、原告にアドバイスをしたが、原告が同意しなかったため、症状固定の診断が大幅に遷延したことが明らかである。したがって、昭和六三年八月一二日ないしは遅くとも平成元年六月には症状固定したものというべきである。

3  原告の後遺障害の内容・程度

(原告の主張)

(一) 傷病名

外傷性頸部症候群(頸椎捻挫、右肘膝・骨盤打撲傷、腰部打撲捻挫)

頭部外傷Ⅰ型

無月経

(二) 他覚症状所見

項背部から腰部の筋緊張の亢進を認める。C5・C6を中心として圧痛があり、後屈時に疼痛が増強する。大後頭三神経症候を証明し、ジャックション(ジャックション症候群)は陽性である。両腕神経叢、両肩甲上神経に圧痛を訴え、両上肢のしびれ感脱力感を伴う(握力右五キログラム、左五キログラム)。

上肢の腱反射はやや亢進しているが、病的反射はない。全体として両上肢に軽度の知覚鈍麻を証明する。腰部は傍脊柱筋のスティッフネス(強直)が強く、後屈前屈の制限がある。L5Sの棘突起の圧痛と叩打痛を認める。膝蓋腱反射及びアキレス腱反射は正常で異常反射は認められない。SLR(下肢伸展挙上運動)は右八〇度、左八〇度でラセグ徴候は陽性である。

(三) 胸腹部臓器・生殖器・泌尿器の障害

事故起因の無月経(北野病院診断)

長期間の投薬療法のための薬物性胃腸炎(大阪医科大学附属病院内科診断)

右同様による体液貯溜による慢性心不全(心拡大全身浮腫・心室性期外収縮)

(平塚梅田循環器クリニック診断)

(四) 眼球・眼瞼の障害

事故起因の調節性眼精疲労(大阪医科大学附属病院眼科診断)

(五) 脊柱の障害

X線所見により頸椎はC5を中心として軽度の後湾変形を認め、現在なお認める。腰椎はL1とL5の椎体の骨棘変形を認め、加齢とともに増大している。

(六) 運動障害

頸椎部

前屈

三〇度

後屈

三〇度

右屈

三〇度

左屈

三〇度

右回旋

二〇度

左回旋

二〇度

(七) 以上により、原告の後遺障害は自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下「後遺障害等級」という。)五級相当である。

(被告の主張)

原告の症状は器質的な他覚所見に乏しく、後遺障害には該当しない。すなわち、

(一) 本件事故直後の北野病院の診断では、原告の症状は極めて軽微であった。

(二) 原告は、昭和五五年三月一日、大阪医科大学附属病院麻酔科外来を初めて受診したが、右初診日のカルテには、「レントゲン写真は問題なし。肩こり、両側左頸部こり、雨天はしんどい。はきけは今はない。現在は頸部痛、雨天時に頭部鈍痛。しんどい。頭重は起床時につよい。晴天のときはよい。」旨が記載されており、自覚症状は認められるが、他覚所見は認められない。同病院ではツムラ葛根湯等の漢方薬の投与が行われた。また、昭和五六年一月七日、同五七年八月三〇日、同五八年二月四日に実施されたジャクソンテストの結果はいずれもマイナスであった。

(三) 自算会調査事務所は、原告による被害者請求に対し、「現在は器質的損傷のない症状で多彩な訴えが中心であり、神経学的な他覚所見に乏しいといわざるを得ません。従って本件外傷に直接起因する器質的障害とは捉え難く自賠責の後遺障害としては非該当と判断します。」としている。

4  原告の損害

(一) 治療費 四七四万八八三七円

治療費のうち原告が支払った費用の明細は、それぞれ別紙「北野病院治療費明細書」、「大阪医科大学病院治療費明細書(麻酔科)(整形外科)(第二内科)(眼科)」、「兵田クリニック治療費明細書」、「平塚梅田循環器クリニック治療費明細書」記載のとおりである。

(二) 治療に関する雑費 一四一万五四〇〇円

別紙「治療に関する雑費明細書」記載のとおり、身体を温めないと痛みがあり、仕事ができないためのホカロン代、眼精疲労のための眼鏡及び痛みをやわらげるラクナールマッサージ料である。

(三) 入通院による給料損害 合計五〇九万八三二九円

(1) 年休取得による損害 一九七万七四九八円

別紙「通院のための年休所得損害分」記載のとおり、通院のため年休を取得せざるを得なかった損害分である。

(2) 賞与手当減額分 三一二万〇八三一円

別紙「賞与手当減額明細表」記載のとおりであり、右(1)、(2)の前提事実たる年休・欠勤の実態は別紙「年休・欠勤集計表」記載のとおりである。

(四) 通院等交通費 五二万六〇六〇円

通院交通費については、電車バス使用分の明細は別紙「通院交通費明細書」、兵田クリニックへの通院タクシー代の明細は別紙「兵田クリニック通院タクシー代明細書」、若城整骨院への電車賃とタクシー代の明細は別紙「若城整骨院交通費明細書」にそれぞれ記載のとおりであり、通勤のためやむを得ず使用したタクシー代の明細は別紙「通勤のため利用したタクシー代明細書」記載のとおりである。

(五) 文書料 三万三六五〇円

別紙「文書料明細書」記載のとおりである。

(六) 入院雑費 七万六〇〇〇円

昭和五七年六月一日から同年九月四日まで大阪医科大学附属病院に入院した七六日間の入院雑費である。

(七) 家事等不能時手伝費用 三五九万二〇〇〇円

原告は、本件事故による受傷のため、著しく軽度の労働しかなし得ず、引っ越しや家事並びに本件事故の請求内容の整理等にどうしても手助けを借りなければなし得ない時期があり、それら手伝いのために別紙「家事等不能時手伝費用明細書」記載のとおりの費用を支払った。

(八) 損害慰謝料 一〇〇〇万円

昭和五三年一一月から平成五年三月までの一五年間にわたる継続的苦痛に対する慰謝料は一〇〇〇万円が相当である。

(九) 後遺障害慰謝料及び逸失利益 一五七四万円

後遺障害等級五級に該当する保険金額である一五七四万円を下回らない。

(一〇) 既払額 六〇五万七三〇七円

別紙「入金表」記載のとおりである。

(一一) 弁護士費用 三〇〇万円

(一二) 以上総合計 三八一七万二九六九円

うち傷害分 一九四三万二九六九円

うち後遺障害分 一五七四万円

うち弁護士費用分 三〇〇万円

5  消滅時効

(被告の主張)

原告の本訴請求は〈1〉傷害分一九四三万二九六九円、〈2〉後遺障害分一五七四万円であるところ、傷害分については本件事故日である昭和五三年一一月一二日から三年を経過した日をもって、後遺障害分については、後遺症が顕在化し、原告において後遺症に基づく損害発生を予測することが社会通念上可能であった昭和六三年八月一二日又は遅くとも平成元年六月から三年を経過した日をもって時効により消滅している。

(原告の主張)

民法七二四条所定の消滅時効の起算点は、後遺症による損害に関する限り、症状固定診断時とするのが相当である。けだし、被害者は一般的に医学的知識に乏しく、医師の診断が下されるまで治療の効果を期待するし、医師の症状固定の診断によってはじめて症状固定を認識して、具体的な損害を認識できるからである。

そして、本件のように極めて複雑で難しい症状自体を被害者たる原告が症状固定と認識し得るのは、富永医師の症状固定の診断によってはじめて可能であったものというべきである。したがって、本件事故の基づく原告の損害賠償請求権の消滅時効の起算点は平成五年三月二七日であり、消滅時効は未だ完成していない。

第三争点に対する判断

一  争点1(原告の受傷による症状及び治療経過と本件事故との因果関係)について

1  前記争いのない事実等に、証拠(甲二の1ないし39、三の1ないし4、四の1の1、2、四の2、3、四の4の1、2、四の5、五の1、2、六、二一、証人富永通裕(以下「証人富永」という。)、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(一) 原告は、昭和五三年一一月一二日午後七時ころ、右折中の加害車両が歩行中の原告の右骨盤付近に衝突するという本件事故に遭って、路上に転倒し(被告は、その本人尋問において、原告は本件事故後路上に座っていた旨を供述するが、にわかに信用し難い。)、右骨盤部、胸部、右肘、左膝を打撲した。原告は、同日七時五五分ころ、北野病院整形外科を受診したところ、自覚症状として右顔面のしびれ、項肩部の圧通等が認められ、頸椎捻挫、右肘・左膝・右骨盤打撲傷と診断された。なお、レントゲン写真上では頸椎、左膝、右骨盤に骨折はなく、異常所見も認められなかった。

その後昭和五五年五月までの北野病院整形外科のカルテに現れた原告の症状は、以下のとおりである。

(1) 昭和五三年

一一月一五日「昨日、一昨日と頭痛、右項部緊張感」、二四日「頭痛、呼吸困難、右耳のあたりがじんとする。」、一二月五日「右大腿上部前面しびれ感、背痛とで苦しくなる」、六日「頭がボーとして物忘れがひどい、悪心、動悸」、二三日「頸部痛」

(2) 昭和五四年

一月二〇日「後頭部の重圧感」、二月九日「顔面浮腫、腹部痛があらわれている」、一四日「左顔面腫れ、だるい感じ」、二四日「後頭部不快感、めまい、右手のしびれ、背部痛、左耳の不快感あり、月経異常」、三月一二日「項から後頭部に鈍痛、頭頂部に不快感」、三一日「二日間倦怠感」、四月七日「全身倦怠感」、五月四日「項から後頭部の痛みあり」、一八日「冷房によるためか、しびれ感あり」、六月一六日「背部に麻痺感あり」、二七日「肩のこるような感じがある」、七月一一日「生理があったがその間項のだるさと痛み強い」、八月一五日「外に出た後鈍痛あり、月経なし」、一〇月一三日「背部の麻痺感」、一一月二四日「後頭部に鈍痛残存」

(3) 昭和五五年

一月一二日「苦訴まだ続く」、二月二三日「頭痛」、三月八日「大阪医大で鍼治療をしてみた。その後体全体だるく次第に楽になったが、又項不全感を生ず。月経はあいかわらず止まっている」、二三日「鍼をすると全身の倦怠感があり調子不良」、四月一八日「一昨日より頸部から背部のだるさ強い」

(二) 原告は、昭和五三年一二月一九日、北野病院脳神経外科で検査を受け、その結果、「頭部外傷Ⅰ型、頸椎捻挫」と診断された。原告は、その際、耳閉感と左の軽度の聴力低下を訴えたことから、同病院耳鼻科を紹介され、同年一二月二三日耳鼻科を受診したところ、「難聴の疑い」と診断され、昭和五四年一月九日の聴力検査の結果は正常範囲であったが、その後も原告は左耳閉塞感、歩行時及び起立時の失神感、左耳不快感を訴え、「眩暈症」と診断された。結局、耳鼻科の局所所見としては、鼓膜等に異常はなく、器質的な病理所見は特に認められなかったが、原告の右症状は、外傷性頸部症候群の中に含まれる耳なり、又は難聴、眩暈と判断された。

(三) 原告は、本件事故当時四一歳であり、本件事故前までは月経が順調に発生していたが、本件事故後不正月経から無月経となり、昭和五四年三月一二日に北野病院産婦人科を受診し、諸検査を受けた。しかしながら、基礎体温上排卵なく、無月経(心因性の疑い)との診断名でホルモン治療、排卵療法を継続して受けたが排卵を見ず、昭和五六年八月一二日、心因性無月経と診断された。

強い精神的ストレスによって起こる無月経をストレス性無月経といい、原告の「心因性無月経」も本件事故による強い精神的ストレスによって引き起こされたもので、神経系、内分泌系、自律神系に強い影響を及ぼす結果、これらに変調をきたすと、全身に様々な症状が出現する。とりわけ、閉経期前の女性が無月経になると、更年期障害と同様の症状が出現するとされている。

(四) このような北野病院での治療にもかかわらず前記症状が軽快しないため、原告は、昭和五五年三月一日、北野病院整形外科の医師の紹介により、大阪医科大学附属病院麻酔科ペインクリニック(疼痛専門外来)に転院し、神経ブロックと東洋医学(漢方薬治療)、針灸を併用して受けることになった。原告の左後頭部痛、背部痛は依然として厳しかったが、同年末ころには漢方薬治療の効果もあってかなりよくなった。原告は、本件事故以来、目の疲れを訴えていたが、同年八月六日、麻酔科から同病院眼科を紹介されて同科を受診したところ、本件事故による頸髄損傷と起因する「近視性倒乱視、調節性眼精疲労」と診断され、以後症状が出現する都度眼科の治療を受けるようになった。

(五) 昭和五六年二月一四日から、原告の勤務の都合上大阪医科大学附属病院には通院できない日が多いためと、同病院麻酔科では受けられない牽引電気治療等を受けるために、原告は、同病院麻酔科の指導で兵田クリニックとの両方で治療を受けるようになった。兵田クリニックでの治療内容は主としてリハビリテーションであった。また、同年一二月一六日からは、身体の浮腫がひどいため、兵田クリニックの指導で平塚梅田循環器クリニックを受診したところ、慢性心不全と診断されて、その治療を受けた。診察した平塚梅田循環器クリニックの医師は、右原告の心不全について、心臓器質的病変はないが、ムチ打ち症に対する鎮静剤(セデス等)の長期連用による浮腫と心不全との悪循環であると判断した。

(六) 昭和五七年の梅雨ころから、原告は、勤務先の職場の冷房に耐えられず、強い頭痛と、首、背中、腰にかけてのだるさ及び鈍痛が厳しくなり、多量の発汗にも悩まされるようになり、当時原告が従事していた電話交換手の仕事にも支障をきたし、部署の責任者の立場にあった原告としては、そのことで精神的に疲弊し、さらに症状が増悪していった。そのため、原告は、大阪医科大学附属病院麻酔科と兵田クリニックの医師の指導により、昭和五七年六月二一日から同年九月四日まで七六日間、大阪医科大学附属病院麻酔科に入院し、毎日、神経ブロック、針灸の治療を継続するとともに、二回にわたり手術でトータルスパイナル(約二時間位仮死状態にする全脊髄麻酔法)の療法を受けた。その間、原告は、同年七月二六日から同病院整形外科において、富永医師を主治医として、以後、麻酔科での神経ブロック、針灸等の治療と併用の上、頸椎牽引、腰部ハットパック、機能訓練のリハビリテーション治療を継続して受けるようになった。なお、右入院期間中に同病院内科を受診し、長期間の投薬療法のための薬剤性腸炎と診断された。

原告の左後頭部、頸部、肩部の症状や眼精疲労等の症状は、その後、昭和五八年二月から三月にかけては比較的良好に経過したが、同年四月ころは、症状が厳しく出現するときと良好なときには波があり、一進一退の状況を呈するようになり、同年六月下旬ころは梅雨のため症状がやや悪化し、同年一〇月下旬ころになると、全身状態は良好でなく、寒冷や疲労に敏感で、全身の倦怠感、視力障害、項部痛、肩凝り、両上肢疼痛(特に左)、不眠等多彩の症状を訴えるようになった。昭和六〇年以降も不眠、頭重感、易疲労感、背腰部の緊張感・疼痛等の多彩な神経症的愁訴が出現し、昭和六三年春ころまで、年間を通じてみると右症状の増悪と軽快を一進一退に繰り返すという経過を辿っていた。

(七) 大阪医科大学附属病院麻酔科及び整形外科のカルテ上に現れた昭和六三年四月以降における原告の症状と治療の経過は、以下のとおりである。

(1) 昭和六三年

四月六日「頭痛、頸痛、肩凝り(++)、腰痛、局所麻酔」、二七日「疲労が強い、肩凝り(+++)、腰痛、局所麻酔」、五月も同様、六月八日「五月中天候が不順であったため調子が悪かった、背部痛、腰痛、頭痛(後頭部)、眼がつかれる、手指の運動痛がある、痛みが強い」、二二日「頸痛(+++)、兵田クリニックで神経ブロック」、七月六日(全身状態不良)」、八月三日「後頭部から両肩甲部にかけて痛みがある、月経なし、神経ブロックをしている、相変わらず痛い」、九月一四日「しんどい、動悸心悸亢進、頭痛、頸痛、感覚障害」、一〇月五日「少しおさまったがまた頸痛がでた、全身倦怠感、月経なし、頭痛(+)、頸痛(+)」、九日「全身状態不良、頸・肩痛、背腰筋硬直」、一二月七日「浮腫様、頭・頸・胸痛、肩凝り(++)」

(2) 平成元年

一月一三日「年末年始休んでやや改善する、神経ブロック、夜中に目がさめる」、一八日「相変わらず痛くて困っている」、二月二二日「気分が悪くてじっとすわっておれない、背中から胸が非常に痛む」、三月二二日「調子悪い、頸・背痛み強い」、四月一二日「最近痛くて痛くて、頸・肩痛、感覚障害、顔面むくみ」、二六日「朝のこわばり、全身不良状態、頸・肩痛、冷房が入って痛み強くなった」、五月二四日「頸・肩・腰痛、両上肢のしびれ、痛みが強い」、七月二六日「冷房で疲労、腰痛増悪する」、九月二〇日「左半身調子悪い、後頸部背部しびれ感、左眼調子悪い」、一〇月一八日「気分悪い、むくみはげしい、眼精疲労強い」、一一月二九日「全身不良状態、疲労感(+++)、睡眠障害あり」、一二月二七日「しんどくて来院できなかった」

(3) 平成二年

一月一〇日「痛み変わらず」、一七日「顔がういている」、二月二一日「調子悪い、頭・頸痛、肩こり」、三月七日「全身不良状態、頭・頸痛、肩こり」、一四日「左後頭部・背部にかけて圧痛」、四月一一日「痛みが強い」、一五日「全身状態比較的良好、肩こり」、五月二三日「頸痛、肩こり」、六月六日「冷房で痛み、肩こり」、八月一日「冷房のかげんで痛みが強い、腰が痛い」、二六日「すごく痛い全身、後頭部痛」、一一月二一日「あいかわらず疲れやすい、手のしびれ、腰痛」、一二月一二日「痛みがやはり強い、無月経」

(4) 平成三年

一月四日「疲労でくたくた、肩こり、腰痛」、二三日「痛みが強い」、二月一三日「頸痛、手指のしびれ、腰痛」、四月一日「無月経」、五月一日「やはり痛い、無月経」、二二日「頭痛、無月経」、六月五日「全身状態良好」、一二日「やはり痛い」、七月一〇日「全身疲労感(++)、頭・頸痛、つかれてくたくた」、九月一一日「全身疲労感、両肩痛(++)」、二五日「痛みは前より良い、疲れてくたくた」、一〇月二日「全身疲労感、両肩痛(++)、一〇月二日「全身疲労感、両肩痛(++)、九日「両肩痛(++)」、一六日「両肩硬直」、一二月一一日「痛い、やはりしんどく痛い」

(5) 平成四年(もっぱら麻酔科での治療である。)

一月二二日「最近痛みが強い」、二月一二日「疲労、肩こり、利尿剤処方」、四月四日「しんどい、肩こり、頭痛」、八日「神経ブロック、鍼」、二二日「頭痛強い」、二五日「しんどいだるい、肩こり、局所麻酔」、六月二七日「後頭・背中、眼の奥痛い、肩こり」、七月二九日「クーラーで痛み強い」、九月九日「朝痛みどめ飲んできたがやはり痛い」、一二月九日「両肩・後頭痛」

(6) 平成五年(もっぱら麻酔科での治療である。)

一月二六日「局所麻酔」、二月一七日「局所麻酔」、二二日「肩こり、あちこち痛い」、三月一四日「背部痛、腰痛、肩部痛、体がだるい、後頭部痛」

2  右1で認定した事実によれば、原告は、本件事故により、頸椎捻挫、右肘膝・骨盤打撲傷、腰部打撲捻挫、頭部外傷Ⅰ型、心因性無月経、長期投薬による薬剤性胃腸炎及びこれに基づく慢性心不全、調節性眼精疲労の傷害を負ったものと認められ、前記認定の原告に出現している多彩な症状はすべてかかる疾病に起因するものであって、本件事故との間に相当因果関係を認めるのが相当である。

しかしながら、前記認定のとおり、右原告の症状には必ずしもこれに見合う他覚的な医学所見が伴っていないにもかかわらず、これに対する治療は本件事故から一〇年以上にも及んでいること、かかる症状出現の原因となった本件事故の態様程度は、事故直後のX線写真撮影によっても打撲した原告の頸椎、左膝、右骨盤に骨折や異常所見は認められなかったことから明らかなように、軽微なものであったと認められること、証人富永によれば、通常かかる程度の事故に遭った患者がすべてかかる多彩な症状を訴えることはないし、治療がこのように長期に及ぶことはないところ、原告に出現している多彩な症状は、心因性の無月経(勿論これ自体は本件事故に起因しているものではある。)による影響が大きく、また、原告の治療がこのように長期にわたっているのは、原告が治療に対して異常なまでに熱心であるという性格に大きく影響されていることが認められる。してみると、原告の右受傷による損害は、本件事故のみによって通常発生する程度、範囲を超えているものということができ、かつ、その損害の拡大について原告の心因的要素が寄与していることは明らかであるから、本件の損害賠償の額を定めるに当たっては、民法七二二条二項の規定を類推適用し、本件の全損害から四〇パーセントを控除するものとする。

二  争点2(原告の症状固定時期)について

1  前記一、1で認定の事実に、証拠(甲一の1、四の1の2、四の1、二一、証人富永、原告本人)を総合すれば、(1)原告の主治医である富永医師は、原告の症状がは平成五年三月二七日をもって固定したものと診断し、同日付で自賠責保険後遺障害診断書(甲一の1)を作成していること、(2)原告の症状と治療の経過を子細に見当すると、昭和六三年及び平成元年当時は頭痛、頸痛、腰痛、肩痛が相当に強く出現し、また、全身状態不良の状態が続いており、これらに対するかなり積極的な治療が必要となっていたものであり、平成二年から平成三年にかけては一進一退の状態が続いていたところ、平成四年に入ってからは、もっぱら麻酔科の治療が主となって、総体として安定期に入り、治療の回数も減少しており、平成五年に入ると、あまり症状も出現せず、かかる状態でほぼ安定的に推移するようになったこと、(3)また、平成五年三月の時点を境として、原告に対する治療の回数は目立って減少していること、以上の事実が認められ、右事実によれば、原告の症状固定時期は、富永医師の診断のとおり平成五年三月二七日と認めるのが相当である。

2  もっとも、被告は、(1)兵田クリニックの昭和六三年六月二五日付カルテに「後遺症認定ボチボチした方がよい。」などと記載されていること、(2)原告自ら被告宛に作成した平成元年四月二八日付書面に「担当の医師によりますと、ようやく本年の六月には後遺障害の確定診断ができる予定であります。」と記載し、「担当の医師」とは主治医の富永医師であることを根拠として、原告の症状固定は、昭和六三年八月一二日ないしは遅くとも平成元年六月には症状固定したものであると主張する。しかしながら、証人富永によると、昭和六三年当時の原告の症状は、まだまだ愁訴が非常に強く、症状が軽快に向かっていると思うと、また一進一退の状態を繰り返していたものであり、治療を打ち切ろうと思っても、なかなか打ち切ることができないというのが現状であったこと、右(1)の兵田クリニックのカルテ記載の趣旨は、原告の治療がすでに一〇年に及んでいたことから、同病院の医師が、このような状態を続けていては原告の治療がいつ果てるとも知れなくなることを危惧して、一応症状固定の状態にすることにより、いわゆる賠償問題を解決することができるならば、原告にとっても別の道が開けるとの判断に基づき、そのような記載をしたものと推測されること、また、右(2)の「確定診断」という点も、必ずしも富永医師の真意を正確に記載したものではなく、富永医師としては、原告の場合早く長期治療から脱却させる必要があるとの判断から、一応症状固定した上で、次の段階を考えるという趣旨であったことが認められるのであって、これらの事実によれば、そもそも昭和六三年ないし平成元年当時は、医学的見地からして原告の症状が固定していたものと判断し得る客観的状況にはなかったし、右兵田クリニックの医師及び富永医師の考えの真意は、いずれも純粋医学的に症状固定の時期と診断しているのではなく、原告のような患者に対しては早期に症状固定とするのが患者を救う所以であるとの考慮に出たものと考えられるから、原告の症状固定時期に関する被告の右主張は、とうてい採用することができない。

三  争点3(原告の後遺障害の内容・程度)について

前述のとおり、原告の症状は平成五年三月二七日に症状固定となったところ、前記争いのない事実等に、証拠(甲一の1、二、二の1ないし39、二一、証人富永、原告本人)を総合すれば、原告の主治医である富永医師は、原告の症状は右同様平成五年三月二七日に症状固定したものと診断したが、その際の原告の自覚症状としては頭重感、後頭部痛、肩甲部痛、全身倦怠感、頑固な不眠、腰痛、易疲労感、手足のしびれ感、めまい等の不定愁訴を認め、他覚的所見として、左記のとおり認められた。

項背部から腰部の筋緊張の亢進を認める。C5・C6を中心として圧痛があり、後屈時に疼痛が増強する。大後頭三神経症候を証明し、ジャツクションは陽性である。両腕神経叢、両肩甲上神経に圧痛を訴え、両上肢のしびれ感脱力感を伴う(握力右五キログラム、左五キログラム)。上肢の腱反射はやや亢進しているが、病的反射はない。全体として両上肢に軽度の知覚鈍麻を証明する。腰部は傍脊柱筋の強直が強く、後屈前屈の制限がある。L5・Sの棘突起の圧痛と叩打痛を認める。膝蓋腱反射及びアキレス腱反射は正常で異常反射は認められない。SLR(下肢伸展挙上運動)は右八〇度、左八〇度でラセグ徴候は陽性である。

また、右症状固定時の頸椎部の運動障害は、前屈三〇度、後屈三〇度、右屈三〇度、左屈三〇度、右回旋二〇度、左回旋二〇度であった。そのほか、胸腹部臓器・生殖器・泌尿器の障害として、事故起因の無月経、長期間の投薬療法のための薬物性胃腸炎、右同様による体液貯溜による慢性心不全が、眼球・眼瞼の障害として事故起因の調節性眼精疲労がそれぞれ認められた。以上の事実によれば、原告に現存している後遺障害については、右認定の障害を総合して後遺障害等級一四級に該当するものと評価するのが相当であり、原告は、その労働能力を症状固定後就労可能期間にわたり八パーセント喪失したものであると認めるのが相当である。

四  争点5(消滅時効)について

被告は、原告の本訴請求のうち〈1〉傷害分一九四三万二九六九円については本件事故日である昭和五三年一一月一二日から、〈2〉後遺障害分一五七四万円については、後遺症が顕在化し、原告において後遺症に基づく損害発生を予測することが社会通念上可能であった昭和六三年八月一二日又は遅くとも平成元年六月からそれぞれ三年を経過した日をもって時効により消滅したと主張している。しかしながら、交通事故により受傷した場合における損害賠償請求権の消滅時効の起算点については、通常かかる受傷による症状の固定までの時間的経過を必要とすることに鑑み、後遺障害逸失利益や後遺障害慰謝料のみならず、治療関係費、休業損害及び入通院慰謝料等の損害をも不可分一体のものとして、損害確定時である症状固定時から時効が進行すると解するのが相当であるところ、原告の症状固定時が平成五年三月二七日であることはすでに述べたとおりである。しかして、本件訴訟の提起(訴状送達日)が平成八年三月八日であることは当裁判所に顕著であるから、原告の本件事故に基づく損害賠償請求権が時効により消滅していないことは明らかである。

したがって、被告の消滅時効の主張は理由がない。

五  争点4(原告の損害)について(円未満切り捨て)

1  治療費 二二〇万三四四七円

原告は、治療費として四七四万八八三七円を支払った旨を主張するが、症状固定日までに要した治療費のうち証拠上明確なものは、大阪医科大学附属病院の整形外科及び麻酔科分(甲七の1の1ないし1の53、七の2の1ないし2の52、七の3の1ないし3の43、七の4の1ないし4の35、七の5の1、2、七の6の1ないし6の23、七の7の1ないし21、七の8の1ないし8の23、七の9の1ないし9の17、七の10の1ないし10の6、七の11の1、2、八の1の1ないし一の6、八の2の1ないし2の11、八の3の1ないし12、八の4の1ないし15、八の5の1ないし20、八の6の1ないし6の19、八の7の1ないし7の15、八の8の1ないし8の33、八の9の1ないし9の22、八の10の1ないし10の11、八の11の2ないし11の55、同病院第二内科分(九の1の1ないし1の6、九の2の1ないし2の26、九の3の1ないし3の16、九の4の1ないし4の14、九の5の1ないし5の12、九の6の1ないし6の14、九の7の1ないし7の8、九の8の1ないし8の12、九の9の1ないし9の11、九の10の1、2)、同病院眼科分(甲一〇の1の1、2、一〇の2の1ないし2の6、一〇の3の1ないし3の9、一〇の4の1ないし7、一〇の5の1ないし5の6、一〇の6の1ないし6の8、一〇の7の1ないし7の7、一〇の8の1ないし8の6、一〇の9の1ないし9の3、一〇の10の1、2)、同病院入院分(甲一一の1ないし8)、同病院診断書料分(甲一七の1ないし20)、兵田クリニック分(甲一二の1ないし30、なお、甲一二の29、30は症状固定時までの治療に関する文書料と認められる。)、平塚梅田循環器クリニック分(甲四の4の1・11頁)のみであり、これの合計額は二二〇万三四四七円となるから、原告主張の治療費は右金額の限度で認め、その余の分についてはこれを認めるに足りる証拠がない(なお、弁論の全趣旨によれば、別紙「入金表」記載のとおりの被告からの既払額があることが認められるが、右入金の内訳が特定されていない以上、右入金から原告の支払った治療費を推認することはできない。)。

なお、若城整骨院への通院はそもそも本件事故との相当因果関係が認められない。

2  治療に関する雑費 四万七〇〇〇円

原告は、別紙「治療に関する雑費明細書」記載のとおりの支出をした旨を主張するが、かかる費用のうち、眼精疲労のための眼鏡の購入費用四万七〇〇〇円(甲一四の1)は本件事故と相当因果関係のある損害と認められるが、その余のホカロン代及びラクナールマッサージ料は本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

3  入通院による給料損害

(一) 年休取得による損害 認められない。

原告が、別紙「通院のための年休損害分」記載のとおり、右通院治療に際して有給休暇を利用したとしても、財産上の損害として捉えるのは相当ではなく、精神的な損害として慰謝料として考慮するのを相当とする。

(二) 賞与手当減額分 三一二万〇八三一円

証拠(甲一六の1の1ないし1の12、一六の2の1ないし2の6)によれば、原告は、本件事故による受傷の治療のため欠勤したことにより、賞与を減額支給され、その減給分合計額は別紙「賞与手当減額明細表」記載のとおり、合計三一二万〇八三一円であることが認められるから、原告は右同額の損害を被ったものと認められる。

4  通院等交通費 三三万九四六〇円

証拠(甲二一、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故による受傷の治療のため、自宅から各治療機関に通院のため要したバス賃及び電車賃は、別紙「通院交通費明細書」記載のとおり合計三三万九四六〇円であることが認められ、右は本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。しかしながら、兵田クリニックへの通院のためのタクシー代、若城整骨院の通院交通費及び勤務先への通勤のためのタクシー代は、いずれも本件事故との相当因果関係を認めることはできない。

5  文書料 一万円

原告が主張する「文書料明細書」記載の文書料のうち、本件事故と相当因果関係の認められるのは、平塚梅田循環器クリニックの明細書、診断書の一万円(甲一三。これは症状固定前の治療に関するものと認められる。)のみであり、その余はそもそも本件事故との相当因果関係を認めることができない。

6  入院雑費 七万六〇〇〇円

入院期間七六日にわたり、一当たり一〇〇〇円をもって相当と認める。

7  家事等不能時手伝費用 認められない。

原告主張の別紙「家事等不能時手伝費用明細書」記載の如き損害は、仮にかかる費用を支払ったとしても、本件事故と相当因果関係のある損害とは認め難い。

8  入通院慰謝料 六〇〇万円

原告の傷害の内容、程度、入通院の期間、治療の内容、原告が本件事故による治療のために有給休暇を使用したこと等本件弁論に現れた一切の事情を考慮して、右金額をもって相当と認める。

9  後遺障害逸失利益 二〇二万三〇九九円

証拠(甲一五の16の1ないし3、一六の2の3、2の5、6、二一、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、本件事故当時、コクヨ株式会社に勤務し、平成九年三月に六〇歳の定年により同会社を退職したこと、原告は、症状固定時である平成五年三月当時、平均月額二七万七五一九円の給与(平成五年一月から同年三月までの三か月分の平均)を得ていたこと、また、右当時冬期賞与として八七万六四一三円、夏期賞与として少なくとも四七万七三二八円(平成二年の夏期賞与)をそれぞれ得ていたことが認められ、したがって、原告の後遺障害逸失利益算定の基礎とすべき原告の年収は四六八万三九六九円と認められる。

原告は、前記(第三、三)認定のとおり、本件事故により、就労可能期間にわたり、その労働能力を八パーセント喪失したものであり、原告は本件事故当時四一歳であったところ、原告は、本件事故がなければ少なくとも症状固定後一一年間は四六八万三九六九円程度の年収は得られたものと認められる(弁論の全趣旨)から、右一一年間及び本件事故から症状固定時までの期間の年五分の割合による中間利息を新ホフマン方式によって控除し、原告の後遺障害逸失利益の現価を産出すると、以下の計算式のとおり

(計算式)

四六八万三九六九円×〇・〇八×(一六・三七九-一〇・九八〇)=二〇二万三〇九九

10  後遺障害慰謝料 一〇〇万円

原告の後遺障害の内容、程度等本件弁論に現れた一切の事情を考慮して、右金額をもって相当と認める。

11  原告の損害のまとめ

(一) 以上のとおりであるから、原告の本件事故と相当因果関係を有する損害(弁護士費用を除く。)は一四八一万九八三七円となり、これから前記(第三、一)認定にかかる原告の心因性減額四割を控除し、さらに弁論の全趣旨により認められる既払額(別紙「入金表」記載のとおり)六〇五万七三〇七円を控除すると、原告の損害のうち被告に負担させるべき分(弁護士費用を除く)は二八三万四五九五円となる。

(二) 弁護士費用 三〇万円

(三) まとめ

(一)に(二)を加えると三一三万四五九五円

第四結論

以上のとおりであるから、原告の請求は、被告に対して金三一三万四五九五円及びこれに対する本件事故日である平成四年一一月一二日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、主文のとおり判決する。

(裁判官 三浦潤 山口浩司 大須賀寛之)

別紙 〔略〕

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